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『ETV特集▽それはホロコーストのリハーサルだった〜障害者虐殺70年目の真実』……リハーサル?

 

 『ETV特集▽それはホロコーストのリハーサルだった〜障害者虐殺70年目の真実』を観ました。T4作戦についてのまとまった番組は珍しく、有意義なものと思いました。以前に観たガストラックの番組は海外製だったかな。しかし違和感を指摘したいのは番組のタイトルの付け方です。なぜ「リハーサル」という言葉をとりあげて強調したのかという点です。
 

  • 番組中、「リハーサル」という言葉は研究者による口頭の概説の中で、それはホロコーストのリハーサルのような役目を果たした、というニュアンスで語られたものであること。
  • 番組全体を通して描かれた経緯からも、障害者のガス室虐殺は初めからホロコーストユダヤ人大量虐殺)のリハーサル(試行)として企図されたものではなく、結果的に連関していったという分析が可能であるにとどまる。研究者の言葉はつまり修辞的表現だということが明確であること。
  • これがもし当時の政権・行政幹部などが「リハーサル」という言葉を大戦期あるいは戦後かに記録に残しているのであれば、引用による告発の意図を持つタイトル設定として有意義だけれど、そういう事実はない。(少なくとも番組内では述べられていない)
  • ある施設では一日に120人を毎日。総犠牲者数およそ20万人に及ぶ規模の計画的虐殺であること。

 
 以上のことから、全体で20万人という規模の計画的虐殺を「リハーサル」と呼ぶのですか、という製作者への指摘を私は行いたいと思います。

 リハーサルという言葉がなぜ引っかかるかについて私の個人的言語感覚を説明しておきますが、例えば競技場とか文化会館などのハコがあったとします、そこで今月はA大会(市町村規模)が開かれる、来月はB大会(県規模)が開かれる、会場スタッフが「今回はより規模の大きい来月のリハーサルだと思って頑張りましょう」とミーティングしているのをA大会の出場者が聞いたらちょっといい気持ちはしないのではないかな、というイメージを「リハーサル」という言葉に私はもともと持っているわけです。多分に現代的な個性尊重の感覚に根ざした違和感ではあります。ただこれは2015年制作の番組なので、現代人がタイトルを創作しているのに何故その言葉なのかな、ということです。

 障害者はカナリアではありません。大事件の兆しを告げて鳴くカナリアのごとく扱われるべきものではありません。社会の周縁ではなく社会の円の中に混じって障害者はいます。ましてや試し斬りの大根でもない。

 というわけで、〈ナチスナチス政権下の医師たちによる障害者虐殺および作戦停止後の野生化した殺害〉はそれ自体が一つの大事件(あるいは全体状況と不可分の一群)であって、ホロコーストとの関連の分析と解釈は研究上で大いに行われるべきだが、番組タイトルに冠して今の時代に印象付ける言葉として「ホロコーストのリハーサルだった」は適当と思えないというのが私の意見です。