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The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect. ―Tim Berners-Lee

Ghost Tears

 
いやそこはナメクジだろ。――という冗談を欄外に置こうと思っていましたが、あんがい核心のような気がしてきたので本欄に昇格し、ここから考えます。与えておいて奪うような制作者の見えざる手の見え見えな話は好きじゃないんです。だが嫌いでもないので(どっちかな?)、とはいえ綺麗な終わりがあれば納得できるわけでもないので、あの義体技師どうしてあっさり死んだのかな、という点をぐだっと考察します。
 
で、何故こんなカマトトなイメージ映像なんだ? TVシリーズでもあるまいしさ? ふむ。システム的な設定は設定としてあるでしょうが、アニメーションは演出が全てですのでそこは無視して。経験値の浅さ、も理由の一つかとは思うがとりあえず棚上げしておいて。人魚……。いまどき人魚だってもう少し濃厚な、さ…………(……いまどきの人魚とは)。よその感想を漁ったら濃厚要望ちらほらあったので、私が私だけが精神年齢・中高生男子なわけじゃないですよね?!
 
感触(外部の情報)ではない。イメージ(内的感応)。その共有。イメージの共有。いや、本当の意味での内的世界は共有できないはずだけれど、おそらくこの一瞬は限りなくそれに近いことができている、というメタファー*1。なぜかというと二人は互いに〈理想〉を得たと思っているからだ。最高に噛み合っているからだ。義体技師にとっての理想の義体使いで、素子にとっては理想の存在肯定者。また、活動家にとっての戦略・戦術指導者。指導者=オリジナル=理想。活動家というのは理想があって行動するものなので、理想を生かすための行為が最優先される。理想を追い、理想に捕らえられた――。そうして素子はオリジナルとして生き残るが、ただの人間である彼女にとっては一人で理想は完成しない。《完成》は、エマとブリンダJr.がひとつの可能性をしめし、近くて遠い将来には、また別のかたちで彼女がこれを選択することになるのだがそれはまた別のお話。【完】
 

*1:それとて脳内物質ゆえビギナーゆえの幻想だが。