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『劇場版 BLOOD-C The Last Dark』

 
1日目、積んDVDをデッキにセット。2日目、ひとつだけ録画を残しておいたTVシリーズ最終回を再視聴。3日目、本編視聴。1日目に至るまでに何年かかったでしょうか。その間に塩谷監督によるPSYCHO-PASS1期が始まって終わり2期が始まって終わりました。その前に観ておくべきものだったのですが、まあそれはそれとしまして。
 
脱線とネタバレを織り込みつつの感想です。
 
 
 
最近読んだ本の作者あとがきで思い知らされたことなのですけれども《美しい自然に囲まれ外界からやんわり隔絶された平和で理想的な町と住人たちが醸し出す不気味、徐々に現れる歪み(ときに異形の侵入というかたちで――)》こういう話は一つの定番で、現役作家世代の源流には『ツイン・ピークス』がある(遡ればもっと昔からの定番だろうけれど)。
 

パインズ -美しい地獄- (ハヤカワ文庫NV)

パインズ -美しい地獄- (ハヤカワ文庫NV)

 
(この本は作者がツイン・ピークスツイン・ピークス!言ってるわりにぜんぜんツイン・ピークスじゃないし、BLOOD-Cともまったく関係ありません)
 
 
 
 
 
 
そういえばギモーブって世間でもけっきょく流行りませんでしたね。
  
 
 
 
 
 
 

CLAMPキャラ&脚本、TVシリーズ監督は水島努氏、劇場版監督は塩谷直義氏。いま思うと、プロダクションI.G作品に対してそれまでちょっと構えた見方しかできなかった(酷く言えばアンチ的だった)私が、いくつかの良質な少女漫画原作アニメをクッションとしつつ、オリジナル作品にも素直に親和性を感じはじめたのってBLOOD-Cが歩み寄りのきっかけだったと思いますね。けして高評価で語れる作品ではないのですが、好きか嫌いかで言えば好きだった。それだけのことなんですが。
 
劇場版BLOOD-C。まー何とも小夜が美しいんですよ。すべての表情が挙動が、きっつくて美しいんです。それはもー、文人さんが山で可愛がってる頃もきゃわわだったけど僕やっぱこっちのほうが好きだはーって独り言でぶっちゃけちゃうくらい。や、こんな言い方はしておられませんでしたが、文人さんのその苦悩はお察しいたしますよ。全体的に何がしたかったのかわからないと見做されても仕方ない文人さん*1ですが解きようのない矛盾に魅入られちゃったんだから、やれるだけのことをするしかなかったし、そういう性分の方でした。その欲求をつきつめれば、たとえば腐海に戯れて王蟲と交歓したがるナウシカと何が違うと思います?*2 視点の違いでしかないのではあるまいか。
 
冒頭シークエンス終わってキャラ紹介終わってぼーっとなりゆきを観てたら突然『×××HOLiC』になった!!
 
小夜も四月一日文人さんもみんな孤高で孤独で寂しそうだった。悲しくなった。四月一日がこの世界に出演する意味はそこにあり得ると思う。つまり小夜だけが唯一無二の異物というわけではない。けれども皆それぞれ余人には計り知れない理由によって孤独を背負っていて、そのオリジナリティを共有できない以上、ただひとりという意味で孤独である、と。
 
ただし、共有できるかできないかは、厳密には、共有するかしないか、というヒロイズムの問題なのかもしれない。
 
なのかもしれないけど、意志決定の点では小夜にはハンデがありすぎる。
 
そもそも小夜は文人への復讐のために東京へ来るけれども、その復讐心すらが虚構の上に成り立っている。いや、舐めたことしてくれやがって、という怒りが根拠でもいいけど、真奈のように元々持っていたものを奪われた人間と比べたときに、面子の問題はレベルが一段下がる。唯芳父様だって文人が与えたものだった。元々の小夜には奪われるものがない。
 
(思えば『BLOOD+』のあの子は総じて幸せな人生を持っていた。あの子には奪われるものがあった)
 
小夜には奪われるものがない。でも。
 
「よけなきゃだめだよ、小夜、これじゃ褒美だ――」
 
この瞬間に奪われたものを心だなどと言うつもりはまったくないが、あえて言うなら、可能性が――文人の敗北は〈脱・孤独〉の可能性がすべて否定されたことを意味していて、頼みもしないのに勝手に小夜からそれを奪っていった。すべては試されすべては不可能だと証明されたのだという現実を、小夜につきつけて消えてゆく。酷い。ひでー奴だ。最低。気持ちわるい。映画に至って小夜と文人はほとんど会話で絡まなかったし、その必要も(TVシリーズ最終回以上のものはもう必要が)なかったし、いくら話しても通じ合える二人ではないし、小夜には理解できないし、理解したくもないし、気持ちわるいいいいいとしか思えなかったでしょうけれど、というか文人を気持ちわるいいいいいいいと感じるかどうかが人間性(=人間を殺せない小夜=圧倒的な力の差のゆえに人間の善性のみを模して生きられる存在)の試金石で、あれを受け入れたときには人間を殺せるようになっている、人間を殺せる人間になっているんじゃないかなあ。*3これってそういうゲームだったのか?!
だからその可能性も一瞬くらいあったのかもしれないけれど、奪われて消えた。あとに残ったのは虚無と、それから、自覚のない揺らぎへの罪悪感かなあ。復讐は共依存でもあるならば。
 
――

勝者には褒美を、敗者には罰を――。

賭けの勝敗と褒美の対応関係は最後にはおそらく重層的になってしまっていて、明快ではない。*4
復讐にとらわれたときに小夜は(小夜も)敗者だった、というふうにも考えられる。小夜をクールビューティーたらしめているのは周囲との圧倒的な力の差である。そこに、何がしたかったのかわからないくらい無茶苦茶な力で挑んだ文人。奪われるもののない彼女にこれほど苛烈な恨みを植えつけることができたのだから、彼の努力は空振りってわけじゃなかった。
――
 
映画を観る練習をしようと思って途中休憩を入れずに通しで観たのですが、終盤ここからクライマックスだなー自律神経がもつかなー大丈夫かなーかなーと身構えている間にわりとさっくり終わってびっくりしました。TVシリーズの最終回のほうがバトル凄かった気がします。バトル後も、これは前述のとおり文人との会話は蛇足にしかならないためだと思いますがさっくり。この二人はとくに通い合ってもいないし、文人さん気持ちわるい自己完結型だし、ということで始めから終わりまでわかりあえない孤独。同じものにはなれない孤独。小夜という孤高への近付き方は、文人さんのアプローチも真奈のアプローチ*5もどちらも愚かなやり方だけれど、希望は真奈のそれにあるんでしょうね。
 
 
あらすじは子供騙しなくらいに単純だけど、すみずみまで綺麗な映画だったので満足です。美意識!!
 
 
あっ、気持ちわるい気持ちわるい言っていますが私から文人さんへの気持ちわるいは最高の賞賛表現です。最後まで素敵でしたありがとう文人さん!
 
 

*1:目的ははっきり明かされたけれども。全体的に。

*2:いや、今作の古きものデザインがそれぞれジブリぽかったので。

*3:「人間は人間を殺せる」のだから、それはつまり人間に堕ちるってことだ。

*4:TVシリーズでの七原文人のモノローグの検討はこちらのサイトを参照させていただきました。

*5:純粋で無謀な真奈の人懐こい行動。