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ちょっとだけ煙と推理の再考察

 

>現時点で朱がモデルとしてる狡噛と、今あるいは映画時点の狡噛はズレているのか、否か。

 
 迂闊にこう書いてしまったけれど、煙草の煙を誘因にしてトレースしているのは狡噛の猟犬として秀でた推理力であって、その能力自体はズレたり劣化したりする類のものではない。しかし朱が狡噛をひとつのモデルとして追いかけているのはその能力だけが理由ではないだろう。つまり、狡噛という人間にあって他の者になかったのは、システムの弾き出す数値と要請を超えて事件の真相を追いつづけた「信念」だろう。狡噛は狡噛で、一期二話において朱の人間性を前にして(執念と暴走と自棄に埋れていた)「信念」を再認識・再生させたのであって、だからこそ彼は最後まで朱に対して従順なまでに尊重の態度を通した。
 このサイコパスの世界で、シビュラに取り込まれずに「信念」を持てた人間として描かれているのは狡噛と朱だけなのだ――まあ、槙島もそうなのだけれども、私個人的にはじつは槙島は「悪役」としてそれほど大物という評価をしていない……けれども悪役というものを描く難しさを考慮すれば大物ラインに達してはいるのだと思う――。
 ゆえに劇場版は「信念」と「信念」がぶつかる話になるはずで、ズレたり劣化したり槙島化したりという心配は杞憂なのかもしれないなと、自己解決した次第である。

 
――
 
 しかしまた誤解のないように付記しておくと、二人以外の面々がシビュラのもとで意志を失った人たちかといえばそうではありません。彼らは己ひとつ分の人生の外には手を出さずに自分を生ききるタイプの人たちだと思う。征陸さんはシビュラ以前の生まれだからもっと私たちに近い。