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The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect. ―Tim Berners-Lee

生存報告

 

あけましておめでとうございます。

苔むした石の如く不動の人生を送っております。

 

今年はゼミに入ります。

去年は物理学の入門的なやつを気軽に取って毎週のテストで真っ青になりました。(Aは付きました)

alquiは微分積分をおぼえた!

 

去年の前半は世の中がヒステリックにぎゃあぎゃあ高い声になっていて不愉快でした。

ウィルスも人間も落ち着いてください。

今年はどんな年になるでしょうか。楽しみです。

攻殻機動隊 SAC_2045のとても簡単な感想。

#1
未来がシャットダウンされたこの世界で、想像された未来の余韻を虚心に聞くことができるか。という不安が今この時期のSF新作にはのしかかるのだが。だがしかし。ああそうか、そもそも身体性がないのであった。正確には、ないのではなくあるとなしのあいだを揺れ動く話が大元であった。すなわちそれが普遍ということなのだった。
 
素子ちゃん林檎じっと見てたけど昔の男でも思い出してたのかしら。
 
#2
このぐらい味が抜けてたほうがやっぱり好みですわ。
でも課長とトグサの会話ちょっと単純すぎないか。
 
新シリーズは音楽がいいね。
 
#3
おばちゃんの尻はよかった。
 
#4
オリジナルメンバーに拘るという、あまりサスティナブルじゃない話をしている。
 
#5
いやいやいやいや……。(他メンより荒巻課長まわりに毎回違和感を感じる
 
#6
アメコミで1000回くらい見た設定と展開。でも私アメコミを1000回も見たことがないので偽記憶。
 
#7
隣のブースの残高は聞こえないでしょ指向性……。
 
近年の安楽死(を待望する向きがある)問題を扱うつもりはない、ということかな。健全でいいと思うよ。
 
#8
へこたれないね。
 
ちょっと面白くなってきたかもしれないのかな。
 
#9
あの制服でバトルするの珍しい?
 
#10
これ最後まで毎回ずっと総理総受けだったらおもろいな。
 
#11
アオイくんは今どこで何してるのかなあ。
 
#12
だいぶSACぽくなったところで、おしゅまい。
 

総評

あんまり複雑な話もなかったので、こんな感想群になってしまった。悪く言えば無味無臭で軽い。よく言えば洗練されており、わびさびの域に達した感じ。ただ画面から美意識の追求を感じなかった。
まあまあ面白かったです。
 
あ、紅殻のパンドラの二期も待ってまーす。
 
 

『シンドラーのリスト』を再鑑賞する

 

 ゆえあってスピルバーグシンドラーのリスト』を去年末に再鑑賞した折、思うところあったので記録します。


 再鑑賞した経緯は、秋期に履修した現代芸術論で、ランズマン/ゴダール論争を学んだことから。
 ランズマン/ゴダール論争というのは、ショアーつまりホロコーストの映像化は可能かという議論で、簡単に言うと、


〈 ショアーくらい唯一無二の惨劇になるといかなる表象化もムダ!不謹慎!当事者インタビュー以外ゆるすまじ!ナチ自身が撮ったガス室のフィルムがもし存在したとしてもバッチいから燃やせ! 〉

 

と言った(超意訳)のがランズマン。


〈 わかるマジわかる、特にスピルバーグてめえはダメだ、でもオレはそれでも映像のイメージ喚起力を信じてる! 〉

 

と言った(超意訳)のがゴダール


 ランズマンとゴダールスピルバーグのアプローチの中から支持できるものを選べという課題が出たりしました。(ただしゴダール言うだけ番長ショアーの長編は撮ってない


 そこで遠い目をする私……。
 スピルバーグは好きだよ。尊敬してるよ。でも『シンドラーのリスト』は、なあ……。

 

 

突然だけどこれを見て。

 


Severija - Szomuru Vasarnap (Gloomy Sunday) [Russian Version: Vaskresenje]


 そう「暗い日曜日」。あまりにも有名な戦間期の自殺誘発ソングですネ。ちなみに引用元の『バビロン・ベルリン』最高なんで機会があったら観てください。BS12でひっそりやってた放送は終わっていますし、日本のネトフリその他には来ないそうなので(海外ネトフリにはある)難易度高いですが。
 と思ったらgyaoで短期間だけ配信してましたね。現在は観られません。


 『シンドラーのリスト』原作ノンフィクション・ノベルの中で、収容所長宅でバイオリン演奏をやらされていたユダヤ人収容者が「暗い日曜日」を弾くと面白いようにSS将校たちがふらふらと外に出ていって拳銃自殺したというエピソードがあり、それを読んで以来「そういうムードの曲と時代よねえ」という印象が私の頭にこびりついています。原作に思い入れがありすぎた私は原作に思い入れがありすぎた故にスピルバーグの映画は公開時に「なんだかなあ」と思いながら斜に構えてさらっと観ただけであった。「この時点でダッシュボードにダイアモンドいっぱいまだ持ってんだけどなあ」
 原作で、アメリカ兵に捕まって“このガム噛み人種め”って思ってるシンドラーちゃん、すき。


・再鑑賞

 そういうわけで二十年ぶりに再鑑賞。
 レイフ・ファインズが若っっけえの! 
 じゃなくて、いや傑作でしたよ。素晴らしかったです。素直に凄いと思った。初見から抱いてきた記憶と印象ではごっそり抜け落ちてしまってたんですが、シンドラーのプラグマティックな成り上がり者っぷりもまあまあ一通りは描けてるのかな。うん。凄いよねスピルバーグ。ほんと凄い。凄い凄い。上手い上手い。いやー傑作ですよ。でも、変な映画だな、とも思って。どこが、つーとその。
 アーモン・ゲートを一昔前のよく出来た古典少女漫画に出てきそうな屈折系サディストみたいに描く必要あった??
 ってことなんですよ。物語としてよく出来てるけど、それ要る? 架空の物語なら素直に巧いなあ(もしくはキャラ的に旨いなあ)と思えるけれどもゲートだよ。実際かなり悪名高い部類の人物ですよね。
 なまじレイフ・ファインズが若……じゃねえや超絶上手い役者なもんだから、その良さをまっすぐ鑑賞していいのだか、わるいのだか、私は何だか動揺してしまって。そういえば当時も妙な動揺を抱えながら『クイズ・ショウ』観たっけなあ。


 ところで、〈ランズマンも認めた!〉といわれるほどに表象化のアプローチの新味を打ち出してみせた近年の作品に『サウルの息子』があります。
 徹底的に主人公の顔と主人公が見ているもの(=もう見ていないもの)だけにフォーカスし、クレマトリウムで働かされるゾンダーコマンドの男を描こうとする映画。
 フィクショナルな脚本ではなくてカメラの行方を以て何事かを映し出そうとする映画です。ゴダール的な考え方で言えば、そのほうが観客に思考の余地を与えるから好ましいというわけです。スピルバーグの映画は観る者にものを考えさせないからダメだと。
 でも、この二つの作品てそんなに離れているかしらというとそうでもないよね。カメラの位置はともかく。
 シンドラーが夢中になって炎天下の貨車に水をかけるシーンと、サウルが息子を埋葬することに無我夢中になってるの、どちらも時代状況による異常性の反転を描いている。どちらも、普遍の人間性を持てる平時の世界においては至極普通のことをしようとしているのに、あの時代のあの場所では異常者のように捉えられる、ということを。


 おまけ。『シンドラーのリスト』の問題点として、パレスチナ問題への言及がなくバランスを欠く、とされると講義中に言及があったので、私はそれは言い出したら際限がなくなるから不要だと思う、と発言しました。
 はっきり言ってしまうと私はこのカウンター(もしくは相対化)言説には常日頃からうんざりしています。ホロコーストの犠牲になった人々個人個人は戦後のイスラエル国家の行為に何ら関与していないからです。
 私はネイションで見ます。民族ではなく。
 ただ……その発言のあとで再鑑賞してみたら、なるほど確かにラストの締めのあたり、けっこう民族的な雰囲気というかイスラエル建設への導線を引いているんですね。これは記憶に残ってなかった。
 ポーランドイスラエル建設の密接な歴史はいずれにせよ肝要な事実なのでこういう演出でもいいんですが、一方で批判を惹きつけるのもわかる。わかりました。はい。


参考:

アウシュヴィッツからの頓呼法(アポストロフィ)──悪夢への目覚めをめぐって | 田中純 ‹ Issue No.29 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

 

【クロード・ランズマン監督のホロコースト三部作が公開】語り得ない記憶を語る、表象できないことを映画にする、人類史上もっとも陰惨な事件の記憶と向き合う~ by 藤原敏史・監督 | 8bitnews

 

統計学を倒しました。

あけましておめでとうございます(1がつ18にちです)。例によって小説公募〆切で10日まで頭がすっ飛んでいたから仕方ないのです。あらためまして今年もよろしくおねがいします。
さて大学のデータリテラシーⅡの課題提出が終わりましたので、データリテラシーⅠから通しての統計学との戦いは終了です。無事終了です。後進の方に情報提供すると、教科書通りやればいいので難易度で言えばそんなに難しくないです。Excelをあれこれする手間と集中力は要るかもです。
個人的には、数学関係あんまりやってきてないので数字やデータにコンプレックスがありましたが、誰にも助けを借りずにクリアしてやったぜーということで。コンプとかはもういいんじゃないかと思います。
 
 

ゲーム・オブ・スローンズ最終章の感想(発掘)

(夏ごろ下書きしたものを今頃UPします。忙しくて完成させる時間がなかった……)
 
ゲースロ全話見終わったので最終章中心に感想を書いておこうかなと思います。ネタバレすると思うので未見の人はバックしましょう。海外ドラマは最高だぜ!みたいな表面的な褒めブログじゃないのでそれが合わない人もブラウザバック!海外ドラマにしては比較的繊細な部分もあってとても面白いシリーズだったな、とは思ってるけどね。
 
 
 
 
結末には満足しています。ラストが良かったですよ。ジョンはあれで良かった。器じゃないもの。器じゃないんだよジョンは。田舎の人だし。まさか今の時代に血統の正統な男性を統治者に据えるようなラストにするわけにいかないわけだからジョンは最初からなかったけどな可能性。
 
ドラゴンを殺せばよかったのに、と私は思った。まあそれでも戦争になるし、デナーリスにとっては最悪の予後かもしれないが。
このごろ私はナチ関連の書籍をよく読んでいるせいで近代に絶望を感じるようになってしまったのだけれど、奴隷解放者デナーリスは近代理性の象徴のように発展し、しかしドラゴンの炎はまず間違いなく大量破壊兵器の暗喩でもあって、だから最終章においてデナーリスがこうなることは目に見えていたよね。ここまで振り切れずとも、彼女が玉座に着いて平和と秩序の時代が訪れるもどこか不穏と危うさを残すという終わり方でもよかったんじゃないかとは思うけど(我々の歴史の今に引きつける意味で)、まあ、それじゃ終わった気がしないから駄目なのか。
 
シオン。このシリーズにおいて最初から最後まで完全な物語(物語の起承転結)を描いてもらえたのはシオン・グレイジョイなんじゃないかな。サンサ……も成長という意味では物語になってるんだけど、リトルフィンガーがボルトンにサンサ渡したのが意味不明すぎてな(でもそれはサンサのせいではないし、キャラクターとしてのサンサはその展開を受けてちゃんと成長したんだけど)。あれ何だったの? キャトリンをネッドの兄に持ってかれた時点でNTR属性ついちゃってましたか??
 
アリアのドラマは視聴意欲の牽引力という意味ではいちばん面白かった。どうなるんだろうどうなるんだろう、をいつも引っ張っていたよね。でもそのドラマのどれもが、どこにも繋がらなかった印象もある。
一種のチートキャラではあるので、例えばデナーリス陣営がアリアをサーセイの暗殺に使わない理由なり、暗殺しても失敗するなりをちゃんと描かないと整合性が取れない気がした。アリアがサーセイ暗殺してればあんなこともこんなこともなかったじゃん!ミッサンディ!!
 
原作を追い越してからどうもおかしくなったとも言われていますが、まあ確かに、特に最終章はどうもね……。夜の王戦の作戦のなさには参った。メインキャラほとんど死なないし。
 
シリーズでこれだけはおかしいだろうという所が一つある。シーズン6の冒頭のダヴォス。あの状況でダヴォスがメリサンドルにあんなこと頼むのは無理があり過ぎるでしょう。一度でも死者の復活を目にしたことがあるならともかく。(あるんだっけ?)発想的にもありえないし、メリサンドルとの因縁的にもありえない。
 
あと、ぜんぜん話の破綻というわけじゃないけど個人的に許せないことが一つある。シーリーン姫のことだよ!ぜつゆる。他の残虐はどうでもいいけどあの件だけはぜつゆるですよ私は。メリサンドルは好きだけど〜〜〜。年の行ったマンスには矢の情けがあったのにシーリーン姫にはないってのも酷すぎません?!
 
 
ドラゴンを殺せばよかったのにな。そしたらまた群雄割拠の戦争が抑えきれなくなるのだけど、そこでティリオンの口八丁が復活して(デナーリスの手になってからティリオンの能力は活かされなくなった)、まあまあどうにかなるみたいなティリオンの活かし方も観たかったかな。
あれだけ何でもありの陰謀劇だったというのに、最後は結局都合よく闇や野心を抱えていない良い人ばかり残って、憂慮なく終われるハッピーエンドだったけど、毒の抜けたハッピーエンドだなあとは。でもまあラストシーンの格調高さには本当に納得しているので不満はない。
 
 
一番好きなキャラはオベリン・マーテルです!
 

書評『メディア論―人間の拡張の諸相』マクルーハン

 
難解な文章に苦戦しましたがちょびちょびと3か月くらいかけて完読しました(そして読了からもさらに3か月くらい経ってやおら書評を書いている)。どこを切り取ってもアフォリズムになりそうな縦横無尽の論考が展開される本。有名な一節「メディアはメッセージである」とは、メディアが伝えようとする内容よりも、メディアの形態自体に人々の意識を変える作用があるということ。
 
活版印刷で決定づけられた表音文字文化は、一定方向に流れる場面のつながりという形態を西欧人に染み込ませた。
非近代的な口誦文化の人々は、時系列で場面が転換して進む映画の約束を理解できない。
表音文字文化は産業革命以来の就業の専門分化にも関わっている。
時系列順の情報で受動的な視聴をさせるものは熱いメディア。モザイク状の情報をバラバラにみる能動的な視聴をさせるものは冷たいメディア。
全ての情報が同時に遍在するネットワークの時代は人々の生活そのものを大きく変えるだろう。
以上かいつまんで要約。
 
書かれたのは60年代なんですよね。ここで言うネットワークはまだまだ電気(電信・TV)の登場くらいの意味なのですが、恐ろしいほど現在の高度情報社会を言い当てる予言書となっています。メディア論の古典としてマストな一冊と言われているのも頷けました。副題にある、新しいメディアと人間の肉体機能の代替・拡張についての論考も面白いのですが解説に文字数を要するので割愛します。ぜひ本のほうで読んでください。
 
著者によると文字文化の強いのは英米で、ヨーロッパ・ロシアは口誦文化を残しており、ラジオは部族的なメディアで、ナチスのラジオ演説がもしテレビだったら滑稽さが浮き彫りになりあのような熱狂は起こらないとのことです。ふーん?
 

【悲報】まだ校歌が三番まで覚えられません!

令和元年となりました。

元号という区分で見れば、思えば平成は私にとっては体の中の難病が本格的に牙を剥き、体に閉じ込められた時代でしたので、あまりいいものじゃありませんでしたね。

そんな困難のなか、インターネットとamazonにひたすら救けられた時代でもありました(いや笑い事ではない)。インターネットもamazonも日本じゃない……。それなしで生きていられない人工呼吸器も日本製じゃないですし。うーん。

 

大学のほうは今のところつつがなく受講し、課題をこなしています。

入学前にはどうしても具体的に課題の内容がわからなかったのですが、講義動画を視聴→BBS投稿(ディスカッション)あるいは300〜400字の講義概要レポート、というのが平均的な週一課題のようです。BBS投稿については課題として出されなくても参加態度の印象付けとしてやっておいたほうがいい感じですかねー。

新入生向けの向後先生の科目はエクセルたっだりスクショだったりちょこちょこっとパソコン操作の基礎的なやつを作成して提出しますが、新入生向けなのでスケジュールがキツくならない配慮があります。eスクールはGWも授業期間ではありましたが、向後先生の科目は休みでしたし、他の科目もGWは課題なかったりしました。(課題出すとBBSチェックとか採点しなきゃいけないですもんね)

来年度以降入学を考えている人のために情報を置いておきます。

 

ところで、これはちょっと義憤めくのですがこのごろの現役の大学生、お金かかりますよね?! 生協のページを好奇心から見てたら、うちの学部、通学部のほうはMacが必須で、7割くらいが生協で売ってるパソコンを買うらしい。どうも他の大学でもそんなところがあるらしい。ただでさえ学費高騰しているらしいのに、これ、奨学金でぎりぎりの経済状況で来てる子たちどうしてるんですか? 大丈夫なの?! 私、東洋経済の貧困レポとか読むの好きだけどw だからああいう話と結びつけて本当に心配になるよ。。